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司馬遼太郎「歳月」その2 と鍋島直正(閑叟)侯 [歴史小説]

江藤新平について昨日の続きを・・・



江藤と最もかかわりの深いと言うか影響を与えた人物として、大久保利通を除けば
私が思うに鍋島直正侯(号は閑叟)があげられるとおもいます
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志士活動で薩長に後れを取った佐賀藩を憂えて脱藩した江藤でしたが、そのときの見聞録を見た直正侯がその見識を高く評価し罪をを許したのでした(普通は死罪となる所を永蟄居)
そればかりか大政奉還後は即座に謹慎を解き、佐賀藩の代表として中央に派遣するなど、
その功績は大きいと思います
もちろん江藤を中心に見ての話なのでそんなことは無いと言う突っ込みはナシでお願いします


鍋島の殿様直正侯と言えば、いわゆる幕末四賢侯と言われる所には名前を連ねないのですが、その藩内を統御する能力においては四賢候をも凌ぐのではと勝手に思っています

島津斉彬、山内容堂、伊達宗城、松平慶永と数えれていますが特に佐賀がぬきんでていたのは
藩校による教育の徹底に有ったんじゃないかと思っています

なんといっても下級藩士で食費も払えないほど貧乏だった江藤ですら勉強出来たというのはさすがと言わざるをえないと思います

だんだん郷土自慢風になってきましたが、もう少し続けます

全国で先駆けたものとして、蒸気機関の開発、大砲製作のための反射炉の建設(これらの技術は島津斉彬の薩摩藩へも伝授されているそうです)
この反射炉の高温に耐えうるレンガの製作に、有田焼の技術が使われているとの事

これだけの実績を残しながらも自らは質素・倹約を守り「一汁一菜」の食事で、衣服は普段は木綿とし、絹のものは着なかったと言われています
住まいも、装飾のほとんど無い質素なものだったようです

この殿様の普段の居室が現在もそのまま残っており
「佐賀城歴史記念館」に入場無料でいつでも見学することが出来ます

昨日の記事にも書いたかもしれませんが、この記念館は新しく復元した建物で、その当時の図面と記録写真等を元に、実際の礎石の上にそのまま立てられており、場所と大きさは当時のままに再現されています
四間続きの大広間と大廊下はさすがに35万石の大藩の屋敷を思わせ、実際に殿様の位置から末席が遠くて誰か分からないと言うほどの広さです、ここに座っての眺めは将に時代劇の中の一場面の様な感覚です(実際大広間を取り巻いている廊下の、直線の長さは江戸城の松の廊下より長いらしい)
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そして一番奥にある、殿様の居室に入ると、それまでの雰囲気とは一変し、全く飾り気の無い部屋にも関わらず、荘厳で妙に落ち着いた雰囲気を醸し出しているのでした
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聞いた話では、以前は別の場所に移されて公民館として使われていたそうです
もったいない話ですが、柱には釘や画鋲でポスターなんかを貼っていたんでしょうか穴がイッパイ開いていました、ただ常に使われていたのが逆に状態よく保てた理由でもあるとある方がおっしゃっていました
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しかし、材木は今では手に入らないようないい材料が使われているとの事です
木目の詰まった正目で、写真ではよく分からないかもしれませんが、左側の新しい木目と右側の木目の違いを見てください、違いが分かると思います、とある方がおっしゃっていました
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現在は元の場所に戻され展示されていますが、一度足を運んでみることをおススメします

すこし江藤新平の話からは外れてしまいました
最後に、 神野公園(こうのこうえん) と言う場所に、江藤新平の銅像が建っています
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ここは鍋島直正候の別邸だった場所ですが、ここの江藤の表情が和やかでイメージと合わない気もします
後世の人が、非業の死を遂げた江藤の供養の意味をこめてこういう表情を作ったのかな、とも思ったりします


本当はゆかりの地とかをめぐってみたい気持ちも有ったのですが、私が知らないのと行動力の無さで行けてないのでごめんなさい、縁があったらまた書いて見ます
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Azumino_Kaku

おはようございます。ご訪問ありがとうございます。
実は私もちょうど、自分の研究の一環で、郷土史(信州松本)の歴史をひも解いています。
幕末から維新に掛けて同じように藩校を中心にした教育の動きが松本でもありました。
維新後の新しい世の中では、身分より知識が重要になるという先見の明が当時の藩の指導者にあったことは素晴らしいことだと思います。
これからもよろしくお願いします。

by Azumino_Kaku (2012-06-10 10:14) 

A・ラファエル

ご訪問&nice!をありがとうございます。

昔、幕末に興味があって研究会とかにも入って、
史跡をいろいろ回っていましたが、京都、北海道、山口が
せいぜいでした。
あの時代は魅力的な人物がいっぱいいますね。
by A・ラファエル (2012-06-10 11:16) 

ねじまき鳥

佐賀城行きました。
御殿は見応えありました。
襖が真っ白だったのは残念でした。
史料がなく復元できないとのことですが、イメージだけでもあると雰囲気でるのでは。

by ねじまき鳥 (2012-06-10 15:19) 

marumaru

Azumino_Kakuさんコメントありがとうございます
郷土史の研究をなさっておられると言うことで今後参考にさせていただきます
これからもよろしくお願いします



A・ラファエルさんコメントありがとうございます
幕末から明治にかけての人物はそれぞれの思想とかが伺えて興味は尽きないですね、今度機会があったら佐賀までお越しください


ねじまき鳥さんコメントありがとうございます
たしかに白い襖は残念ですね
史跡として忠実に再現することも大事なのでしょうがその位の機転は効かして欲しいものですね
by marumaru (2012-06-10 16:43) 

ヨッシーパパ

佐賀県に、幕末当たりの歴史に触れる旅をしてみたいです。
司馬遼太郎は好きで、この本も随分前に読みました。
by ヨッシーパパ (2012-06-10 18:37) 

海を渡る

歴史小説は面白いですね^^。
最近、あまり読んでないですが。
by 海を渡る (2012-06-10 19:52) 

Silvermac

佐賀の乱ですね。
ツレは佐賀県出身です。
by Silvermac (2012-06-10 20:55) 

YUTAじい

おはようございます。
ご訪問、nice! ありがとうございます。
by YUTAじい (2012-06-11 06:31) 

marumaru

ヨッシーパパさんコメントありがとうございます
ぜひお越しください、まだまだ他にも見所はイッパイ有りますよ

海を渡るさんコメントありがとうございます
歴史小説はいいですね

Silvermacさんコメントありがとうございます
同じ佐賀県人としてよろしくお願いします

YUTAじいさんコメントありがとうございます
またよらせていただきます

by marumaru (2012-06-11 20:40) 

がっちゃん

ご訪問ありがとうございました^^

父方のご先祖様が、鍋島藩の武士でした。
是非一度、佐賀城歴史記念館を見学してみたいです^^

by がっちゃん (2012-06-12 22:11) 

marumaru

がっちゃんさんコメントありがとうございます
きっと葉隠れの教えを受けられてたんでしょうね
by marumaru (2012-06-13 20:27) 

Wilbur

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